精神疾患による身体化
精神疾患の症状として、口腔内に異常を訴える患者は多く、市中病院口腔外科受診患者の10%以上という報告があります。これを「身体化 somatization(ソマタイゼーション)」といいます。
身体化を生じる代表的な疾患は、身体表現性障害(somatoform disorders)ですが、その他に、気分障害(うつ病)、統合失調症(精神分裂病)、妄想性障害(心気妄想)、人格障害があります。
身体表現性障害は、身体疾患を模倣する疾患(ただし詐病を除く)をいいます。
「具体的には、適切な臨床検査などの検索(例えば、胃部不快感を訴える患者に対する内視鏡検査や胃X線透視造影検査など)を行っても、症状を説明できる所見がないときに診断される精神疾患です。かつては、自律神経失調症、不定愁訴、神経衰弱、ヒステリーなどと呼ばれていた疾患の多くが、現在では身体表現性障害であったと考えられています。
歯科では、器質的原因が見当たらない口腔顔面部の痛み、咬み合わせがおかしいという執拗な訴え、唾液に関するものが多いようです。
うつの身体化もよく知られています。義歯床下に潰瘍やびらんが認められないのに、「義歯が合わなくて食事がしにくく、体重が減って夜も眠れない」などというときは要注意です。この場合には、うつとの鑑別を行い、精神科医への紹介を行う必要があります。また、うつの初発症状として、「何を食べても味がしない」「味覚が変わった」と訴える患者は少なくありません。
歯科医も、うつの鑑別法を知っている必要があります。
統合失調症や、妄想性障害の場合は、妄想性の症状を訴えます。
統合失調症の場合の妄想は、(重症度によりますが)、「歯に盗聴器が仕掛けられているから抜歯して欲しい」とか「唾液がざぶーんと口からあふれ出て、まわりに飛び散る」というような荒唐無稽なものが典型的です。
妄想性障害の定義は「精神病性障害のうち優勢な症状が妄想である障害」です。妄想性障害で執拗な身体症状を訴えるものは、DSMでは「妄想性障害の身体型」と診断されますが、通称で「心気妄想」ともいわれます。この場合の妄想は確信であり、いかなる説得も効を奏しません。歯科では、執拗で激烈な疼痛、唾液に関する訴え、いわゆるセネストパチー(口腔異常感症)と呼称される異常な訴え(上顎が真中で割れてぐるぐる回る、歯茎からくぎが出てくるなど)が上げられます。
この場合は、抗精神病薬が奏効しますので、親切心から相手をするよりは、早期に家族を説得し(本人には病識がないから)精神科医に引き渡すべきでしょう。
Q:抗うつ薬は、味覚異常を生じるか?
A: 抗うつ薬自体は味覚異常はおこしません。
現在使われている抗うつ薬は、大きく分けて、三(四)環系抗うつ薬、SSRI,SNRIの3種類です。
うつに対してもっともevidenceがあり、長く使用されてきたのは、三環系抗うつ薬です。
しかし、この薬には副作用が多く、特に「口渇」はほとんどの患者さんが訴えます。抗ヒスタミン作用で唾液の分泌が減るため、「口が渇いて、苦く感じられる」という患者さんはいます。しかし、薬自体の副作用として、「味覚異常はおこらない」とされています。
SSRI,SNRIは新世代の抗うつ薬で、三環系抗うつ剤にあったような副作用がありませんので、これらでは味覚の異常を訴える患者さんは少ないと思われます。
対処法・依頼
* どこまで歯科的処置をしてよいか?
非可逆的な処置は、絶対にするべきではありません。特に、外科処置や咬合を変えるような処置は、精神的・身体的侵襲が大きいため、症状が悪化して、訴訟に発展することがあります。
*抗不安薬(精神安定剤)は?
どの精神疾患か診断できていないときに、ベンゾジアゼピン系の薬(精神安定剤)を処方するのは、避けてください。疾患によっては、治療時期を逸して、さらに悪化させる場合があるからです。
ちなみに「精神安定剤」という言葉は、非専門用語で、患者さんには構いませんが、医師同士で使う言葉ではありません。
* どこへ依頼すればよいか。
精神科医は口腔内のことがわからず、歯科医は精神疾患がわからないため、このような患者さんは中に浮いてしまいます。
しかし、最近では、まだごく少数ではありますが、精神科医とのリエゾンを行っている歯科大学の特殊外来や、GPがいます。筆者の施設(静岡市立清水病院口腔外科)もそうですが、そのようなところへ依頼するしかありません。
このような患者さんは、「体の病気である」と確信していますので、精神科受診を拒むのが普通です。また、精神科的な治療が必要でも、受診の都度歯科医が口の中を覗いてあげることで、患者さんは安心します。ですから、看板は「歯科」で、精神科医と連携しているところを探して依頼するとよいでしょう。