非歯原性歯痛(Non-odontogenic toothache)
(歯が原因ではない歯痛)
口腔顔面部の痛みの中で最も多いのが歯や歯周組織に関連する痛みであり、患者は歯科を受診します。しかしながら歯を疼痛発生源としないにもかかわらず「歯痛」と感じられる痛みを生じさせる疾患が多数あり、これらによって生じる「歯痛」を非歯原性歯痛と呼びます。
●非歯原性歯痛の分類
日本口腔顔面痛学会は、非歯原性歯痛を以下の8つに分類しています。
*日本口腔顔面痛学会診療ガイドライン作成委員会:非歯原性歯痛診療ガイドライン.(2012)より
http://minds4.jcqhc.or.jp/minds/NDTA/ndta.pdf
- 筋・筋膜性歯痛
- 神経障害性歯痛
- 発作性:三叉神経痛、舌咽神経痛
- 持続性:帯状疱疹性神経痛・帯状疱疹後神経痛
- 神経血管性歯痛(群発頭痛など)
- 上顎洞性歯痛
- 心臓性歯痛
- 精神疾患または心理的要因による歯痛
- 特発性歯痛(非定型歯痛)
- その他のさまざまな疾患により生じる歯痛
非歯原性歯痛 Nonodontogenic Toothache(1998.7.15)/2018年10月加筆
●はじめに
米国ではTMDの研究の発展と共に、口腔顔面部の疼痛に関する研究も進み、両者は現在「TMD/OFP(Orofacial Pain 口腔顔面痛)」と併記される一つの学問として歯科の新たな一分野として確立しつつあります。ここではOrofacial Painの中のトピックスの一つである「非歯原性歯痛」についてお話します。
Liptonらは、1993年の調査により、「人口の22%は、過去6カ月以内に口腔顔面痛orofacial painを経験しており、この半数に当たる12,2%は、歯痛である。」と報告しています。
歯痛すなわち歯原性疼痛odontogenic pain は、歯髄と歯周組織に起因する痛みであり、歯科医が専門としているものです。
しかも前述のデータが示すように、口腔顔面痛の多くは歯原性疼痛であるため、歯科医は患者が歯が痛いというとなんの疑いもなく歯科治療を始めてしまう傾向にあります。
しかしながら、この中には、実際は歯が原因ではない別の疾患が含まれていることがあることに注意しなければなりません。
この場合には、歯が原因ではないのですから、歯科治療を行っても痛みは改善しません。
したがって、抜髄をし、半年以上も根治を続けたあげく、やむを得ず抜歯をする、それでもなお痛みが持続するため、この時点でやっと専門医に紹介するという経緯をとることも珍しくありません。
これは、歯科医が「歯痛=歯原性疼痛」と早合点したか、痛みの原因を特定できないままあてずっぽうに治療を始めたために生じた結果であり、いずれにしても誤診のそしりをまぬがれることはできません。
AAOP(アメリカ口腔顔面痛学会)は、このような誤診にもとづく誤った治療を防ぐため、疼痛メカニズムを基礎とする「口腔顔面痛」や「非歯原性歯痛」という概念を広く知らしめるための啓蒙活動を行っています。
*日本歯科医師会雑誌に類似の論文を寄稿しています。 口腔顔面痛:歯痛および顎関節症と誤診しやすい疾患について(井川雅子)
-誤って抜髄・抜歯をしないために- 日本歯科医師会雑誌 60(9), 854-863, 2007
●site of painとsource of pain
「知らない病気は診断できない」というまことにうがった言葉があります。
非歯原性歯痛を理解するためには、歯科医は疼痛に関する多くの知識や具体的な疾患について学ぶ必要があります。
まず、この中で最も基本的で重要なのは、site of painとsource of painという概念です。
site of painは「痛んでいる部位」であり、
source of painは「痛みの実際の発生源(部位)」です。
歯髄炎などに代表される歯原性疼痛のほとんどは「site of pain=source of pain」ですので、
痛い場所に対し治療を行えばただちに痛みを消失させることができます。
しかし医科領域では、このような単純明快な痛みばかりではなく、診断に際しては「両者が異なることがある」、すなわち「患者が痛いと言っている場所=痛みの発生源とは限らない」ということが常に考慮に入れられています。
site of painとsource of painが異なる主なメカニズムとして、関連痛があげられます。
関連痛は、末梢からの侵害刺激を中枢に伝える複数の一次ニューロンが、中枢で二次ニューロンに乗り換える際に一本のニューロンにまとめられてしまうために生じると考えられています。
この現象は「収束convergence」と呼ばれる生理的には正常なもので、わかりやすく言えばある種の「混線」であるといってよいと思います。
関連痛のメカニズムは、TMD/OFPの専門医のバイブルである「AAOPガイドライン」や「ベルの口腔顔面痛」(いずれもクインテッセンス出版)で詳しく解説されていますので、興味のあるかたには一読をお薦めいたします。
1)筋・筋膜由来の歯痛
これは、口腔顔面領域では最も多い非歯原性歯痛です。
筋が疲労し、筋筋膜痛myofascial painが生じると筋中にはトリガーポイントが生じ、関連痛を発生させます。
典型的なものは、咬筋や側頭筋のトリガーポイントからの関連痛で、それぞれ下顎臼歯や上顎小臼歯部の痛みとして感じられるため、患者は歯痛を訴えて受診します。
この場合は、咬筋や側頭筋がsource of painであり、歯の痛みがsite of painです。
したがって、治療はsource of painである筋に対してなされなければならず、site of painである歯の治療をしても痛みはいっこうに治まりません。
患者の痛みが歯由来なのか筋由来なのかを鑑別するためには、まず歯の診査とともに、筋の触診を行いトリガーポイントが存在するかを確認します。
さらに鑑別が必要な場合には局所麻酔を使用し、歯に麻酔をしても痛みが消失しないか、あるいは、反対に筋中のトリガーポイントに麻酔を行って「歯痛」が消失するならばこの痛みは筋筋膜由来の非歯原性歯痛であると診断します。
しかし、実際には筋・筋膜由来の非歯原性疼痛の頻度は非常に高く、
TMD専門医は「不可解な歯痛に遭遇した場合には、まず、歯を徹底的に調べ、次に筋・筋膜痛を疑い、そのどちらでもないときにはじめてその他の口腔顔面痛の可能性について検討せよ」と教 育されています。
2)神経原性の歯痛
三叉神経痛患者を経験したことのない歯科医は案外多く、三叉神経痛の疼痛を歯痛と誤診し、上顎臼歯(II枝領域)や下顎臼歯(III枝領域)を抜髄した後で精査依頼となるケースもあります。
(幸い清水ではこういう例はありませんが。)
また、反対に第I枝の三叉神経痛を群発頭痛と誤診した内科医もいます。
三叉神経痛は、比較的頻度の高い疾患ですので、原因不明の歯痛の場合には鑑別疾患として常に考慮に入れておくべきです。
一方舌咽神経痛の場合は、疼痛は、運動や味刺激で舌咽神経領域に発生するため、患者は顎関節部を示して、「大きく口を開けると痛い」とか「食事をすると痛む」と表現します。
このため、顎関節症と誤診されることが少なくありません。
非常に珍しい疾患ですが、当科では2例経験しており、このうち1例は薬物療法が奏効せず、脳外科で減圧術を行い完治に至りました。
3)神経血管由来の歯痛
ここでは、片頭痛や群発頭痛などの神経血管性頭痛を意味します。
Graff-Radfordらの研究では、群発頭痛cluster headache(頭痛の中でも最も激しく「自殺頭痛」の異名を持つ)の43%の患者が不適切な歯科治療を受けていると報告されています。
群発頭痛の患者は、群発期間には、一日に数回、各90分間程の頭痛発作を起こします。
頭痛は激烈で、患者は文字どおり頭をかかえて部屋中をころげまわったり、あまりの痛みに繰返し頭を床やかべに打ちつけるなどの異常な行動をとることさえあります。
また、発作時に激しい歯痛を訴えることもあります。
致命的な疾患ではないためか、本邦では、頭痛が専門の神経内科医意外にはあまり知られていない疾患のようで、診断がつかないまま各医療機関を転々としている患者も少なくありません。
筆者も以前は、頭痛を歯痛と間違えるわけがない、ましてや群発頭痛と歯痛を間違えるなどよほどの××医者に違いない、と考えていましたが、5月半ばにTMD外来で実際の症例を経験し、群発頭痛の患者が歯科医院を受診する可能性はあり、歯科医によっては治療を始めてしまうこともありうるだろうと感じました。
この患者は、他院脳外科で「片頭痛」と診断されており、薬物療法を受けているにもかかわらずいっこうに発作が治まらないため、「ひょっとしたら頭痛ではなく歯痛なのではないか」と考え口腔外科を受診しました。幸い診査中に発作が発現したため診断が容易でしたが、このような訴え方をされた場合、歯科医としては、少しでも疑わしい歯があれば「とりあえず」根治でもしてみよう、と考える傾向にあるだろうことは想像に難くありません。
しかし、歯科治療にあたり常に我々が、「この歯の状態でそれだけの激しい痛みが生じうるか」と自問しながら診断する習慣があれば、誤診や無意味な治療を回避することができると思います。
ちなみにこの患者は、過去2回の発作期間中に2度とも歯科医院を訪れ歯科治療を受けていました。
また、群発頭痛の頓挫療法としては、100%酸素(7-10l/min)を10-20分吸入させるというものです。
詳しくは、間中先生の頭痛大学サイトの該当項目を参照してください。
4)上顎洞・鼻粘膜由来の歯痛
上顎洞由来の歯痛で、典型的な者は急性上顎洞炎の経過中に生じる歯痛です。この場合の歯痛は、患側の上顎小臼歯から大臼歯部(通常56)にかけての1-2歯に発現する自発痛として感じられ、著明な打診痛を伴います。冬に多く、問診すると多くの場合、「風邪を引いている」、歯痛と同側の「鼻が詰まっている」と訴えるため、ここが鑑別の手がかりとなります。確定診断はX線写真やCT、MRIで行い(図5)、治療は抗菌薬による薬物療法が中心となります。いずれも耳鼻科に依頼するとよいでしょう。
5)心臓由来の歯痛
虚血性心疾患(狭心症や心筋梗塞)の患者が、関連痛として「歯痛」や下顎の痛みを訴えることがあることはよく知られています。
- 診断のポイントは痛みが発作性に生じること。
- 部位:(頭顔面部痛の場合は)86%は両側性
- 特に運動との強い相関性が認められる。他にも寒さや興奮など同じ条件で「歯痛」が生じるときは注意が必要
- 性状:漠然とした鈍痛
- 強度:軽度から中等度
- 狭心症の場合
- 発作の持続時間は数分~10分以内
- ニトログリセリンの舌下投与で20-30秒以内に疼痛が消失著
- 心筋梗塞の場合
- 歯痛は数時間にわたって生じる
- 緊急性がきわめて高いため、救急車で搬送する
6)精神疾患または心理的要因による歯痛
うつ病や双極性障害、不安障害、統合失調症、パーソナリティ障害などの患者が、精神疾患の「身体症状(旧:身体化)」として歯痛や顔面痛を主訴に受診することはしばしばあります。この場合は、原疾患である精神疾患のコントロールがうまくいくと疼痛も改善します。精神疾患の身体症状が疑われる場合は、精神科医と連携しながら、疼痛管理を行っていく必要があります。
●簡単な鑑別診断法
*疼痛が歯原性か非歯原性かを鑑別するためには局所麻酔を使うのが重要なポイントです。口腔顔面痛には「診断的麻酔」という概念があります。末梢のある部位に疼痛の原因があるのであれば、そこに局所麻酔を行えば痛みは消失するはずである、という考え方に基づいています。ただし、浸潤麻酔では、患者はボワーンとした感覚で、痛いのか痛くないのかがわからなくなってしまうことが多いため、「その歯」に歯根膜注射を行ってみると良いでしょう。
1)で触れたように、歯に麻酔をしても痛みが止まらなかったら、歯原性ではないと診断してよいでしょう。
*痛い歯が単独ではなく複数、患歯を特定できないというのも、非歯原性歯痛の特徴です。反対に、冷温水痛や打診痛(咬合時痛)がある、食事時に痛みが増悪するのは歯原性の可能性が高いです。
●おわりに
歯痛はありふれた痛みであり、我々歯科医も日常茶飯事のこととして油断しがちですが、問診・視診・X-Pなどに基づいた診断を行うことの重要性を改めて認識する必要があると思います。
その場でどうしても痛みの原因が発見できないときには、不可逆的な処置をせず次回まで経過観察とする方がよいでしょう。
AAOP(米国口腔顔面痛学会)の機関誌である”Journal of Orofacial Pain”に掲載された意見書には、「臨床家は確定診断が出るまでは、痛みをコントロールしようとするあまりTMDや歯に対し過剰な治療をすることに対し慎重であらねばならない。The clinician must therefore guard against extending treatment to such structures in an attempt to control pain until an acurate diagnosis has been made.」ということが強調されています。